町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打 三遊亭らん丈【公式ウェブサイト】

三遊亭 らん丈

「2003年新年のごあいさつ」町田の、らん丈

2003.01.01(水)

 こうしてらん丈HPをごらん頂いている皆様、明けましておめでとうございます。このHPを開設して初めての正月を迎えましたが、これからもますますコンテンツを充実させてまいりますので、どうぞ本年もアクセスをよろしくお願い申し上げます。

 アクセスといえば、日本人は月間にどれほどの時間を割いて、インターネットを利用しているのでしょうか。ネットレイティングス社(本社・東京都)の調査結果によれば、家庭からの一人当たりの月平均利用時間は、2002年10月の時点で、11時間58分10秒だそうです。これは、世界の12地域のなかでは香港、米国に次いで3位。同年5月からの伸び率は、8.4パーセント。つまり、日本人は家庭では、毎日だいたい24分インターネットを利用しているというわけですね。それも、日を追うごとに長くなる傾向があるということです。ならば、その1割の2分ほどをらん丈HPにアクセスしていただければ、大変にありがたいのです。特に、木曜日には極力なんらかの新コンテンツをアップデートさせるつもりなので、木曜日にはらん丈HPへのアクセスをお忘れなきように。

 さて、正月といえば、日本人には初詣が欠かせません。なにしろ、三が日だけで、全国で8,622万人もの参拝客がいたのですから。つまり、7割近くの日本人が詣でたことになります。これほど多くの集客が見込めるイヴェントって、ほかにあるでしょうか。それにつけても、神社は儲かりますな。ぼくのようなカトリックまでが御参りに行くのですから、羨ましいかぎりです。逆の場合は、そうそうありませんよ。つまり、非キリスト教徒が正月、教会に詣でる率は限りなくゼロに近いでしょうから。尤も、カトリックでは、新年のミサは各教会で執り行われますが、初詣という習慣はありません。カトリックの2大イヴェントは、復活祭とクリスマスです。

 ぼくは今年の元旦は、地元の町田にある四社に詣でました。生まれ育った森野の住吉神社、本町田の菅原神社、原町田では、町田天満宮と母智丘神社。ちなみにこれで「もちお」と読みます。なかなか読めないでしょう。このように、神社名は奥が深いのですね。
 参拝の途中で雨が降ってきましたが、それにもかかわらず立って待っている参拝客のなかで、帰ろうとする方はほとんどおらず、改めて日本人の信仰心に思いを新たにしたのでした。なに初詣は、信仰心ではなくて、最も手近なレジャーにして、願掛けすることに意義がある、という見方もありますが、ぼくにとってはどっちゃでも構しません。
 その参拝客の多さこそを指摘したいのです。特に、年々若い方の参拝客が増えているような気がするのは、なにも気のせいではないと思うのです。
 そもそも、ぼくがまだ噺家になる前ですから、20年以上前の日本の元旦は、シーンと静まりかえっていたものです。それこそ、道路を使っているのは新聞配達と郵便配達ぐらいのもので、人っ子一人歩いておらず、初詣も2日あたりから。それがいまや、元日からデパートが開店するのですから、歳末大売出しもないもんだと思いますが。

 テレビは見たい番組がありませんしね。ぼくはもとからテレビ番組にはなんの期待もしていませんし、相性が合わないもんだと諦めていますが、正月に見た唯一のテレビ番組が結構面白かったのでした。
 それは、2日26時、つまり3日未明に見た映画『連弾』でした。2001年製作の竹中直人監督主演によるもので、専業主夫の夫(竹中直人)とキャリアウーマンの妻(天海祐希)、その妻の不倫が発覚し、一家は家庭崩壊の危機に直面するものの、不倫する母親と娘とのピアノ連弾を通じて、かろうじて家庭の絆が保たれるという、きわめて今日的な邦画なのでした。ぼくは、この映画を観ながら何度大笑いしたことでしょう。
 見ている間とらわれていたのが、「この映画は、竹中直人がぼくのために作ってくれたのではないか」という、ありもしない想像です。もちろん、そんなことはありえないのですが、ここに芸術の要諦があるような気がします。
 つまり、芸術を必要とするものは、必ずこんな妄想に駆られるのではないでしょうか。太宰の小説を、「ぼくのために書いてくれた」との思いでページを繰った若者は、なにもぼくばかりではないでしょうから。

 ぼくにとっての正月の楽しみは、分厚い新聞を読むことぐらいでしょうか。中でも面白かったのは、3日掲載の宝島社の広告でした。宝島社は昨年、国会を原っぱで開催しようとの広告を打ったことで一躍有名になりましたが、今年もやってくれました。
 今年は、「呼び名を変えれば、日本も変わる(かも)。」というヤツでした。たとえば、生命保険は死亡保険、外務省→害務省、前向きに善処する→無視する、女子アナ→TVコンパニオン、国債→前借、公的資金→失策穴埋め金、等々。ぼくには結構楽しめました。

 この書き方ならばさしずめ、落語→保護を必要とする古典芸能、としなければならなくなってしまったのではないでしょうか。今年の正月で残念だったのは、毎年正月2日に放送していたテレビ東京の寄席番組がなくなってしまったことでした。今年からとうとう寄席番組は、NHK「初笑い東西寄席」ただひとつとなってしまったのです。
 何よりも驚いたのは、先月、講談社学術文庫の一冊として、『古典落語』が刊行されたことです。今や、落語は学術なのです。これはわれわれ落語家にとっては、とても困ったことです。落語は本来、眼に一丁字もない庶民のためにある芸能なのです。そもそも学術とは、対極にあるものなのに。それが、学術文庫とは。トホホな新年なのでした。