まちだ市民大学の修了生が、自然及び環境に関する同窓会として「みどりのHATS」を創立してから、今年(2012年6月)で20周年を迎えます。
らん丈は、その12期生ですが、同会の会報第115号(2012年8月25日号)に寄稿した「会員のつぶやき」をここに再録します。
『みどりのHATSに入会して良かったと思っていること』
山田哲男代表のもと2012年度の「みどりのHATS」がスタートされまして、おめでとうございます。
当会が創立20周年を迎えることから今年度のテーマに、「新旧会員の交流」が掲げられたことから、私のような者にまで寄稿の機会を与えていただきましたことを先ず、感謝申し上げます。
新旧といえば、『論語』にある温故知新が想起されますが、同じく『論語』の「為政」篇には、「五十而知天命」〈五十にして天命を知る〉ということばがあります。
斯界の権威であった吉川幸次郎が指摘するところによればこれは、「たいへん重要なことば」なのだそうです。『論語』にちりばめられていることばは、片言隻句にいたるまでぼくにとってはいずれも「たいへん重要なことば」に思えるのですが、碩学の吉川幸次郎が敢えてそう指摘するのですからこれは、さぞや重要なことばなのでしょう。
ちなみにこの「天命」とは、吉川の指摘によれば、「天が自分に与えた使命とも、あるいはまた天が自分に与えた運命とも解することができ」る二様の意味を含んでいるそうです。
つまり、「人間としての義務という意味と、運命、人間がその限定としてもつ運命、この二つの意味を同時にもつ」と、吉川幸次郎は『「論語」の話』(ちくま学芸文庫)で記しています。
ぼくは昭和34年生まれですから、今年53歳を迎えました。落語家でありながら市議会議員になるという紆余曲折はあったものの、それでも文字通りあっという間の53年でした。
すると、ぼくはすでに天命を知っていなければならないほどに年齢は重ねているのですが、なかなかどうして天命とやらは、いまだ不明です。とはいうものの、さすがに若い頃とくらべると、いくらかはいろいろなことがわかるようになってはきました。
これも『論語』からの引用でおそれいりますが、「雍也」篇に「知之者不如好之者、好之者不如樂之者」とあり、これを金谷治は、〈知っているというのは好むのには及ばない。好むというのは楽しむのには及ばない。〉(「岩波文庫」118頁)と訳しておりまして、それを実感するようになりました。
つまり、「好きこそ物の上手なれ」ということでしょう。まして、楽しんでやられちゃあ、かなわないということです。逆にいえば、楽しんでやらなければ、まして好きでなければ、それをやったところで物にはなるまいよ、というのが実感です。嫌々やったところで何も身につかないどころか、それは時間の無駄ということがこの年齢になって実感としてわかるようになりました。
ぼくは、落語家ですから落語の稽古(を少し)はしますが、それにしたところで、だらだらと稽古をしていても、ほとんど意味はありません。壁を前にして百篇稽古をしても、一度の高座には、とうていかなわないからです。ただし、稽古をしなければ、本番の高座に上がることはできませんが。
さて、「みどりのHATS 」に入会したご縁は、まちだ市民大学HATS 「町田の環境・参加体験講座」を受講したことにありますが、勉学の場を求めてそれ以外にも今でも大学院に通学しています。
すると、少なくない方々から、「よく勉強なさいますね」ときかれます。その問いには、「40歳を超えると、学校が好きになりますよ」とお答えしており、それがぼくの実感であり、これが「天
命」なのかもしれません。
ここで、話は変わりまして、1930年1月に井上準之助蔵相とともに金解禁を実施した浜口雄幸首相は、「ライオン宰相」とよばれるほど剛直だったことは夙に知られているところです。
その著書『随感録』によれば、同首相は趣味道楽をついにもつことはなかったそうです。その理由を3つ挙げており、第一に「殆ど余事を顧みるだけの心の余裕がなかった」こと、第二に「趣味道楽の方面に向はしめずして、黙坐瞑想の方面に向はしめた」こと、第三に「余の無精―物臭太郎―なる性癖が之をして然らしめた」こと、だそうです。
くわえて、「余り趣味道楽が多すぎるといふと、あたら秀才をして凡人たらしめ、凡人をして鈍物たらしむる場合が少なくないのである」と続けていますが、たしかに、趣味が多すぎるというのは一考を要することかもしれません。けれど、趣味がないというのは、寂しい限りです。
そんなわれわれには、「みどりのHATS」という強い味方があることをここで再確認したいと思います。
日本は世界最高の長寿を誇る国ですから、定年後の人生は平均して優に20年を超えています。このように人類史上最長の人生を与えられた国にいるわれわれは、圧倒的に多い時間が与えられているのです。それは、江戸時代の平均寿命が男性は38.8歳、女性は35.7歳だったことを知ると、いかに長い時間が与えられているかが実感されようというものです。
その決して短くない人生を、どのように過ごそうが、それは各人の自由です。ただいずれにしろ、「棺を蓋いて事定まる」と杜甫がうたっているように、棺を蓋われたときに自ら納得したいとお考えの方にとっては、この「みどりのHATS」をはじめとするいわゆるNPOという組織に携わることは、決して無駄にならないどころか、資するところ非常に大きなものがあると、私は確固として信じているのです。
それも、好んで、あるいは楽しんで携わるとよほど身につくというものです。私は今まで当会活動に積極的に従事することはできませんでしたが、これからも当会に関われることに誇りを抱いているのです。
追記
このエッセイを執筆後、2011年の日本人女性の平均寿命が厚生労働省より公表され、それによると、日本の女性は27年ぶりに長寿世界一の座を香港に明け渡し、世界第2位となったそうですが、原文には手を加えませんでした。