『町田の未来と公共交通の夢を語る市民の夕べ』
昨夜、町田市民フォーラム3階ホールで開かれた上記『町田の未来と公共交通の夢を語る夕べ』に一聴衆として参加し、後半開かれた「町田の未来と公共交通の夢を語る」討論会を拝聴させていただきました。
今回、ぼくは初めて同会に参加しましたが、2回目の開催だそうです。当日は、開会時は生憎と雨が降っていたためか、前回に較べると少ない聴衆しか集まらなかったそうですが、ぼくにとっては多くのことを学ぶことが出来た、得るものの多い会でした。
昨夜、町田市民フォーラム3階ホールで開かれた上記『町田の未来と公共交通の夢を語る夕べ』に一聴衆として参加し、後半開かれた「町田の未来と公共交通の夢を語る」討論会を拝聴させていただきました。
今回、ぼくは初めて同会に参加しましたが、2回目の開催だそうです。当日は、開会時は生憎と雨が降っていたためか、前回に較べると少ない聴衆しか集まらなかったそうですが、ぼくにとっては多くのことを学ぶことが出来た、得るものの多い会でした。
2001年で忘れられない日に、ニューヨーク貿易センタービルがテロによって壊滅した9.11がありますが、われわれ落語家にとっては、10.1つまり、古今亭志ん朝師匠の命日もこれに劣らず、忘れられない日です。一周忌の法要がそのお人柄を表すように、東京會舘で盛大に営まれ、ぼくも落語家の端くれとして、出席させていただいたのです。
スピーチは、志ん朝師匠のおかみさん、三遊亭圓歌落語協会会長、長老・森繁久弥さん、親友・寺田農さん、くわえて前日の9月30日をもって金融担当相を更迭されたばかりの話題の人、柳沢伯夫代議士と、ごくシンプルなものでした。
柳沢さんは、スピーチ冒頭で「おかげさまで昨日をもって閣僚を辞任して、時間に余裕が出来たので、こうして志ん朝師匠の法要にも出席できます」とやって、満場の喝采を浴びていました。
その日は、昨年の10.1と同様に涙雨が東京に降り注がれ、今年はそれ以上に、10月に関東地方に上陸した台風の中では戦後最大級といわれる21号が、暴風と豪雨を撒き散らしながら、志ん朝師匠の一周忌を悼んだのでした。
昨3日、町田中央通りにある「ぽっぽ町田」にて、前回の困惑日記で触れた桜美林高校の壮行会があったので行ってきました。
本題とは関係ありませんが、「ぽっぽ町田」という名前をどう思われますか。作ったのは町田市なのですが、町田市に限らず、どうも地方公共団体はネーミングがあまり得手ではないようです。「ぽっぽ町田」ねぇ、力が入らない、なんとも間抜けな名前だと思うのはなにもひとりぼくに限ったことではないと思いますが、みなさんはどう思われますか。
今夏の高校野球選手権大会の西東京地区代表に、桜美林高等学校が決まりました。ぼくは甲子園で開かれる選手権大会にはほとんど興味がないので、おそらくテレビでは見ることはないでしょう。ラジオでならば一部聴くかも知れませんが。
昨日は、ぼくが今最もお世話になっている支援者、T青年(すし屋の若旦那にしてSE兼WEBコーディネーター)が車を出してくれたので、来る6月28日(金)町田市民フォーラムにて行う町田では初めての独演会「ふるさと町田寄席」のチラシを、町田在住の主な支援者の方々へと届けて回りました。Tさんは生まれも育ちも町田、町田以外には住んだことがないので、町田の道路事情には、異常とも思えるほど精通しています。
町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打