『如水会講演会』摘録 「議員、落語家、一橋生の、三遊亭らん丈」
2011年9月22日、東京都千代田区一ツ橋にある如水会館での、『如水会講演会』の講師を勤める栄に浴しました。如水会とは、一橋大学の校友会です。
その講演の演題は、「議員、落語家、一橋生の、三遊亭らん丈」というもので、摘録が『如水会々報』平成23年12月号通巻974号に掲載され、それを再録してここに掲出しました。
この「落語歳時記」は、らん丈が2000年4月から2002年3月まで24回にわたって、『月刊東京グラフィックス』(社団法人東京グラフィックサービス工業会発行)に連載したものを、許可を頂いて転載したものです。
1回あたり1500字という字数制限はあったものの、楽しく書かせていただきました。
ただ内容は、「歳時記」を名のるのがいささか憚られるようなものばかりですが、そこは平にご寛恕を請う次第。これをお読みになって、らん丈に興味を持ち、原稿を依頼しようと思った方は、どうぞ遠慮なくご連絡ください。ご注文に応じてほいほい書かせていただきます。
2011年9月22日、東京都千代田区一ツ橋にある如水会館での、『如水会講演会』の講師を勤める栄に浴しました。如水会とは、一橋大学の校友会です。
その講演の演題は、「議員、落語家、一橋生の、三遊亭らん丈」というもので、摘録が『如水会々報』平成23年12月号通巻974号に掲載され、それを再録してここに掲出しました。
このエッセイは、ぼくが属する芙蓉俳句会の会誌『季刊芙蓉』2010年秋号に掲載されたものです。
スポーツは、もともと日本にはなかった概念なので、未だにうまい訳語がなく、カタカナ表記になってしまいます。スポーツを「運動」と訳しては、的確な翻訳となりません。なぜならば、sportsの原義は、遊び興ずる意であり、類義語はplayとなるからです。日本ではスポーツ扱いされる、柔道や剣道に、遊び興じる意味はなく、それらはあくまで武道です。ぼくに理解不能なのが、重量挙げのどこに「遊び興ずる」感覚があるのか、ということです。
現在ベストセラー街道を突っ走っている小説に、真保裕一の『ダイスをころがせ!』(毎日新聞社刊)があります。この小説は、リストラされた34歳の元新聞記者と元商社マンの二人が、故郷から衆院選に立候補する顛末を描いたものです。たしかに、毎日のように新聞紙面を賑わす政治家の収賄事件等、政治には古来薄汚いイメージがしっかりと国民には植え付けられています。それを打破するべく、政党に属さずに政界に打って出ようとする主人公には、共感するところが大きく、それだからこそ、この小説はベストセラーとして広く読者に受けいられているのでしょう。
日本経済の低成長が続き、ともするとマイナス成長に陥ってしまう現状しか知らない、昨今の若い方々には、世界の奇跡とまで言われた、昭和30年代以降第1次石油危機が来るまで年平均実質GDP成長率が9%に達した高度経済成長時代が、かつての日本にあったことは想像することすら難しいのないでしょうか。それどころか、ほんの10有余年前のバブルに浮かれていた日本すら、実感を伴って思い返すことができず、そのバブルに浮かれたあれやこれやを遙か昔の「歴史」としか捉えようがないほど、それは遠い過去のものとなってしまっているのでしょう。
駅の看板や電車内の広告を仔細に見ている方はすでにお気づきのように、最近とみに増えているのが、学校、特に大学によるものです。だいたいが、駅看板の定番はつい先だってまで、病院等の医療機関と相場が決まっていたものです。たしかに今でも郊外の駅ならば、病院や医院の看板がその大半を占めています。ところが、先述のようにターミナル駅の看板や電車内の天井下の広告の少なくないものは、沿線の大学案内に取って代わられました。
落語とは、改めていうまでもなく落とし噺のい謂いであり、落ちなければ噺になりません。
ですから、落語家は落ちないものを嫌うのです。たとえば、落ちない洗濯屋さんを嫌い、より良く落とす洗濯屋を好み、子供が進学したいといえば、落ちてもともとでとにかく受験させます。ただし、何事にも例外はありまして、飛行機は別ですよ。飛行機が落ちては洒落になりません。ですから、機内放送では落語とは言わず、演芸とうた謳っているはずです。そうそう、今はなくなった真打昇進試験も、落ちたくはないものの筆頭ですね。
新世紀となって最初の年は、落語界にとって散々な年となってしまいました。
先ず、松が取れないうちに桂三木助師匠が40代の若さでお亡くなりになってしまったのに始まり、4月には古今亭志ん朝門下の逸材、古今亭右朝師匠がガンのため52歳の若さで亡くなり、9月には林家彦六門下の重鎮、橘家文蔵師匠が心不全にして62歳というやはり早逝で、そして10月には皆さんご存知のように古今亭志ん朝師匠がお弟子さんの右朝師匠と同じガンによって、その命をわずか63歳にして奪われてしまったのでした。
これはたまたま偶々でしょうが、ミスタープロ野球と言われ、その栄光を一身に集めた長嶋茂雄巨人軍監督が公式戦最後の指揮を執ったのが、志ん朝師匠が亡くなった10月1日でしたから、丁度時代が変わりつつあるの感がひとしお一入胸に刻み付けられたのでした。
ぼくは今両国の隣、錦糸町に住んでいますから、地方場所がない限り、至るところでお相撲さんを見かけます。ご存知のように両国には国技館があり、それを取り囲むように相撲部屋があちこちに点在しており、我が家のすぐ近くにも九重部屋や間垣部屋、若松部屋等があるからです。国技館は隣町にあり、年3回合計45日間にわたって行われる東京場所へは、歩いても20分で行くことができるのです。
この「雪隠」が、今の若い方でお読みになれるのは既に少数派でしょうね。「せっちん」と読みます。三省堂の『新明解国語辞典』には「便所」の意の老人語、と記してあるくらいですから、若者が読めないのも当然のことです。何しろ”老人語”ですから。
芸人となるぐらいですから噺家は概して、他人様の芸事、つまり芝居や映画、コンサートを好むものが多い。ご多分に漏れずぼくも映画は大好きなのですが、なかなか思うようには見に行けなくて悔しさをかこっていたところ、先日、往時の日本映画界の巨匠、小津安二郎監督の作品を2本観る機会がありました。『晩春』と『秋日和』の2本です。それぞれ昭和24年、35年の東京が主な舞台に設定されています。たかだか4〜50年前の東京なのに、その余りの変わりように、驚かされたものです。
町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打