初夏を迎え、陽気が好くなってまいりますと、人も生き物、やはり活動的になりますね。すると、どうなるか。人は結婚したくなるのです。と書くと、我が田に水を引くそしりを免れませんが、1,2月に較べれば、この時期の方が圧倒的に結婚式を挙げる方が増える。
結婚すれば、たいていの方は披露宴を催します。さすれば、我らの出番と相成るわけです。たしかに、最近の若者には器用な方が増え、新郎の友人が披露宴の司会を勤めることが増えてきましたが、ここはやはり我々プロにお任せいただきたい。素人さんが玄人の職場を荒らしちゃあいけませんや。餅は餅屋と、言うではありませんか。
ぼくが結婚御披露宴の司会をさせて頂くようになって、かれこれ15〜6年は経ちます。その間、いったいどれほどのカップルの誕生に立ち会ったことか、数えたことはありませんが、ざっと数えても300組は下らないのではないでしょうか。司会を始めた頃と今とでは、色んなことが変わってきました。最も顕著な違いは、媒酌人を立てる方が減ったことでしょう。時代が平成になった頃、その傾向は兆してはいたものの顕在化はしていなかった仲人なしの披露宴が、ごく普通のことになりました。
たしかに一目で頼まれ仲人とわかる場合は、頼んだほうも頼まれたほうも、その仲人の話を聞かされるほうも、三者ともに辛いものがありましたから、仲人さんがいなくても一向に構わないと思います。
それでも仲人さんを立てる場合は、以前は職場の上司を仲人に立てる方が比較的多数を占めていましたが、それ以外に多いのは以前から、学校の恩師です。それはそれで理に適っているのですが、司会者にとっては困ることがあります。仕事柄か、挨拶が長い、いいえ、長過ぎるのです。特に大学の先生は長い。大学の授業時間は90分ですから、その感覚が抜けないのでしょう。20分ぐらいで切り上げて下さる先生は、稀です。話が面白ければある程度は長くても構わないと思います、仲人なのですから。ところが、ほとんどは見事につまらないのです。あれほどつまらない挨拶をよく延々と話せると、改めて尊敬したくなるほど、面白くない。たしかに大学の授業は、学生に面白く聞かせる必要はないでしょう。内容が重要なのですから。ところが、披露宴のスピーチはそういうわけにはいかないのです。涙は不要ですが、ユーモアは必要です。まして媒酌人ともなれば開宴早々の出番ですから、招待客は食事を我慢している状態です。始めはニコニコ聞いていた媒酌人の奥様の顔が、次第に引きつってくるのを見飽きても、大学教授は未だ話している。大学教授は自分ではユーモアたっぷりに話しているつもりなのではないか、受けないのは聴衆にそれを理解する能力が欠如しているせいだと、固く信じているのではないか。そう考えなくては納得できないほどつまらない話を延々と続ける人が、結構います。
先日の媒酌人は、大学教授ではないせいかスピーチを面白くまとめていました。「最後に、あちらにおりますのが愚妻です。私事で恐縮ですが、既に結婚して30年の月日が流れました。夫の私が言うのも憚られますが、結婚した当初は今日の新婦には劣るものの、それなりに可愛かったものです。食べてしまいたくなるほど可愛かったのです。今思えば、あのとき食べておけば好かった、と後悔しています」これはネタで使わせていただいてます。
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