芸人となるぐらいですから噺家は概して、他人様の芸事、つまり芝居や映画、コンサートを好むものが多い。ご多分に漏れずぼくも映画は大好きなのですが、なかなか思うようには見に行けなくて悔しさをかこっていたところ、先日、往時の日本映画界の巨匠、小津安二郎監督の作品を2本観る機会がありました。『晩春』と『秋日和』の2本です。それぞれ昭和24年、35年の東京が主な舞台に設定されています。たかだか4〜50年前の東京なのに、その余りの変わりように、驚かされたものです。
清潔感といえば、映画に出てくる男性は、背広を着ていれば必ずといってもいいぐらい帽子を被っていました。これは、当時と今の最も顕著な男性ファッションの違いでしょう。
いまどきの日本男性で帽子を被っているのは、野球選手か警官や運転手の制服制帽ぐらいで、それ以外の者は、通常帽子は被りません。
これは何も日本に限ったことではなく、先日亡くなったジャック・レモンもサラリーマン役をやらせれば天下一品のものがありましたが、やはり帽子がよく似合っていました。
いつの頃から、サラリーマンは帽子を被らなくなったのでしょうか。それは経済の成長のみを優先させ、無駄を一切排除した高度経済成長と軌を一にしているように見受けられますが、違っているのかもしれません。
ただし、何事にも例外はあるものでして、今年のような猛暑のもとでは、にわか帽子ファンが増えるものです。ほんとに今年の夏は暑かった。かといって、ずっと家にこもってばかりいるわけにはいかないので、外に出るときには、日除けのための帽子を被るのですが、普段身につけないものですから、見事に忘れてしまうのですね。今年だけで、2個なくしました。
大体が、昔からぼくと帽子との折り合いは悪く、最も古い記憶ではまだ幼稚園児の頃後楽園遊園地のジェットコースターで宙返りのときに一つ失くしました。今年の場合は、一つは山手線の網棚にあるタブロイド紙を取ろうとして、帽子を入れ替えに網棚に置いたところ、それっきりとなってしまい、ずいぶん高くついた夕刊となりました。もう一つは、トイレで用を足そうと、帽子を脱いだところそれっきりとなってしまいました。
このように普段持ちなれないものを持つとよく忘れるのですが、かといって、四季を問わず帽子を被る勇気は更にありません。大体が、帽子が似合うのはハンフリー・ボガートのように、長身にして面長な顔立と相場は決まっているのですが、ぼくの身長と顔は、見事にそれに当てはまらないので、似合わないこと甚だしいのです。
〔らん丈の落語会案内〕9月7日(金)浅草大黒家天丼寄席、10月29日(月)池袋演芸場独演会、問合せ090-8726-0796