落語とは、改めていうまでもなく落とし噺のい謂いであり、落ちなければ噺になりません。
ですから、落語家は落ちないものを嫌うのです。たとえば、落ちない洗濯屋さんを嫌い、より良く落とす洗濯屋を好み、子供が進学したいといえば、落ちてもともとでとにかく受験させます。ただし、何事にも例外はありまして、飛行機は別ですよ。飛行機が落ちては洒落になりません。ですから、機内放送では落語とは言わず、演芸とうた謳っているはずです。そうそう、今はなくなった真打昇進試験も、落ちたくはないものの筆頭ですね。
ところが面白いことに、噺を落とすことを生業とするわれわれ落語家を重宝して使うのが、他ならぬ政治家です。古くは林家彦六師匠を共産党が応援演説に頼み、清貧を好む彦六師匠は共産党の主張に痛く賛同し、早速選挙カーに乗り込み、演説の段、ある団地でその住民に向かって「長屋の皆さん」と声を張り上げたのは、余りに有名な話です。共産党の関係者は、さぞや冷や汗をかいたことでしょう。
また、落語家の議員といえば、沖縄開発庁政務次官を28日目にして罷免された、元参議院議員立川談志師匠の存在を、無視するわけにはいきません。参議院は、今はなくなった全国区から当選しましたから、日本全国すべてが選挙区だったために、選挙区を間違えることはなかったでしょうが、その前に衆議院で立候補したとき、たしか談志師匠は東京8区から出たはずですが、その8区がどこまでだか分からず、少なからず8区以外で演説したというのも、また有名な話です。
現職の議員では、三遊亭圓窓師匠門下の窓里師や、桂三枝師匠のお弟子さんが三重県のどこかの町か村の議員でいらっしゃいます。ですから、落語家が議員になるのは、なんら不思議なことではないのですが、実際のところ成り手はいません。
それは、そうでしょう。落語家になるというのは、大抵は親の反対を押し切ってなるものですが、そうまでしてなった落語家を辞めるとは言わなくても、敢えて、当選するかどうか分からない選挙に立候補しようというのは、やはり、リスクが大きすぎます。
ところが、世の中には常識が通用しないやから輩がいるものでして、他ならぬ私が、今年ある選挙への立候補を考えています。あまり詳細には、公職選挙法に触れるので書けませんので、東京多摩地区のある市、とだけ申し上げましょう。
どうして、今さら議員に立候補するのかと問われれば、それは、3年前に交通事故に遭い、右足を骨折し、初めて松葉杖をついて歩いたところ、ぼくが生まれ育ったその市が、巷間福祉の町と言われているにもかかわらず、最も歩きにくかったという事実を挙げたいのです。いつかは生まれ故郷に帰るつもりでしたから、その予定を少し早めて、昨年実家に戻り、選挙活動を始めました。その原動力は、上に記したように、生まれ育った町が障害を負った者を暖かく迎えるどころか、駅ひとつとっても、障害を持つ者には実に使い辛いという現状を改めるため、怒りをもって立候補を決意したのです。
したがって目指すのは、今流行のバリアフリーに先んじる、グローバルデザイン(誰もが住みやすい)を実現する町づくりです。つまり、バリアフリーはバリアが無い状態を理想としますが、グローバルデザインはバリアの除去ははもちろんのこと、あらゆる人にとって住みやすい町を目指すという、新たな思想に基づいた画期的な町を作りたいのです。