駅の看板や電車内の広告を仔細に見ている方はすでにお気づきのように、最近とみに増えているのが、学校、特に大学によるものです。だいたいが、駅看板の定番はつい先だってまで、病院等の医療機関と相場が決まっていたものです。たしかに今でも郊外の駅ならば、病院や医院の看板がその大半を占めています。ところが、先述のようにターミナル駅の看板や電車内の天井下の広告の少なくないものは、沿線の大学案内に取って代わられました。
そもそも広告を出す誘因には、ふたつの理由が考えられます。ひとつは、名士の職分を果たすための名刺代わり、もうひとつは経営戦略的なもの。大学の場合は、当然後者ですね。
小泉首相のお気に入りの思想家の一人に、江戸後期に活躍した佐藤一斎という儒者(ちなみにぼくはもちろん知りませんでした)がいますが、一斎は「少(わか)くして学べば、すなわち壮にして為すことあり」とのたまったそうです。なるほど、たしかにそうではあるでしょうが、これだけ移り変わりの早い現代においては、若いころには思いも及ばないようなことが後年起こることが、多々あります。最も顕著な例がコンピューターの普及でしょう。あるいは、経済学においてはポストケインズ経済学のめまぐるしい勢力争いなど、日々進歩展開する学説を追いかけるのは至難のことです。
こうして成人後もスキルアップを目指し、学問を志すものが増え、それとあいまって若者の人口が減っている今日、大学や大学院は社会人の入学を積極的に受け入れています。たとえば、わが母校立教大学では、来年度から新たな大学院専攻科、「ビジネスデザイン研究科」「21世紀社会デザイン研究科」「異文化コミュニケーション研究科」「コミュニティ福祉学研究科」を設置します。この中には、既存の学問しか知らない方にとっては、一体どんなことを学ぶのか訝しむ気にさせられるものもあるのではないでしょうか。
早い話が、ぼくは昨年度から社会人入学で、立教の経済学部3年次に編入学したのですが、一旦入学してしまえば普通に高校を卒業した学生と同じ授業科目を受講するのです。20年前に卒業した同じ大学ではありますが、その頃は皆無に近かった社会人学生が、特に法学部においてはかなり目に付くようになりました。つまり、教授よりも年上の学生がいてもさほど違和感がないほどに、社会人学生がいるのです。
20年振りに学生として大学に通うようになって気が付くのは、総体的には今の学生の方がよく勉強するのではないか、ということです。もっと正しく言えば、今の学生の方がより成績を気にするのです。つまり、大学で良い成績を取らないと就職がままならないので、とにかくA評価を欲しがると言うことです。不況になると、学生が勉強をよくするようになるということで、これは不況の良い効果ですね。いずれにしろ、ところてん心太のように勉強することなしに大学を押し出されても就職できた往時が想像できないほどの雇用難が、今の日本を覆っています。不況の名の下に日本全体にどんよりとした暗雲が漂っている今日、少しでも元気になるために、たまには寄席で寛いでいただこうと、来る4月22日(月)午後6時半より池袋演芸場(TEL03−3971−4545)にてらん丈の独演会「どうしまショウ」を開きますので、是非とも御来場下さい。40歳を過ぎて大学に入り直したヘンな落語家がどんな落語をするのか、精一杯の高座をどうぞお楽しみ下さい。