町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打 三遊亭らん丈【公式ウェブサイト】

三遊亭 らん丈

落語歳時記23 「懐かしやバブル」らん丈の、落語歳時記

2002.02.01(金)

 日本経済の低成長が続き、ともするとマイナス成長に陥ってしまう現状しか知らない、昨今の若い方々には、世界の奇跡とまで言われた、昭和30年代以降第1次石油危機が来るまで年平均実質GDP成長率が9%に達した高度経済成長時代が、かつての日本にあったことは想像することすら難しいのないでしょうか。それどころか、ほんの10有余年前のバブルに浮かれていた日本すら、実感を伴って思い返すことができず、そのバブルに浮かれたあれやこれやを遙か昔の「歴史」としか捉えようがないほど、それは遠い過去のものとなってしまっているのでしょう。

 思えばあの頃の日本は、国中が躁状態にあってはしゃいでいたようなものでした。たとえばその頃仕事柄、会社主催の忘年会の司会をよく頼まれたものですが、そんなときトリを勤めた余興に、ストリップがありました。それもただのストリップではなく、踊り子のパンツの中に一万円札を忍び込ませたうえに、その枚数を会場の観客に当てさせ、最後の一枚を脱ぐとそれが判明し、見事当たった正解者には豪華な商品を差し上げるという、実にバブリーな企画ものでした。

 あるいは、これはある相撲部屋での千秋楽のパーティーで恒例のビンゴゲームを行った際、一等はなんと自動車、もちろん本物ですよ、だったなんという実にどうもなんとも舞い上がった話が、そこかしこで聞かれたものでした。

 その当時、寄席はといえば、このような浮かれたお客様が入ったかというと、これが見事に薄かったものです。”薄い”とは芸人用語で、お客様の入りが少ないということです。つまり、バブルで実入りが増えた者は、もっと値段の張る遊びにいそしみ、寄席には見事に来ませんでした。そんなとき先輩は言いました。「好いんだよ、薄くても。この景気だっていつまでも続くわけはないさ。寄席は不況には強いんだから、その時儲けりゃいいんだよ」と。

 そして、この平成不況の真っ只中、寄席にお客様が入っているかといえば、みごとに”薄い”ですね。寄席が不況に強いというのが、いかに間違った言い伝えであるかを、毎日目の当たりにしております。
 ところがそんな不況の中でも、売れに売れているものがあるのです。たとえば、昨年銀座にできた有名ブランド店では、品薄になるほど客が殺到して、一人で100万円以上も買い込んでいる人も珍しくない「優雅なる不況」を演出しています。ところがその帰途、100万円以上をバッグ購入につぎ込んだその同一人物が、食事は吉野家で280円の牛丼を食べるのですから、まさに「一人内2極化」を地で行く消費傾向です。つまり、鷹揚に使うというわけではなく、実にしっかりと使うべきところには使い、締めるべきところは締めているのです。こうなると、無駄なものには当然、一切出費しないのですね。そんな消費傾向の持ち主が、どうして実生活には何の役に立つでもない落語を聞くために、寄席通いをするというのでしょう。

 けれど、落語家だから言うのではありませんが、およそ文化は無駄のかたまりみたいなものです。絵を見なくとも、音楽を聞かなくとも、将棋を指さなくとも、小説を読まなくとも、スポーツに興じなくとも、映画を見なくとも、芝居を見なくとも、花をめ愛でなくとも、人が生きていくうえでは何の痛痒も及ぼすことはないでしょう。けれど、それが無くなってごらんなさい。生活からどれほど潤いが失われていくことでしょうか。そもそも、人生そのものが無駄みたいなもんですもんね。